日記・コラム・つぶやき

2022年6月 4日 (土)

午睡

 朝、2時半に起きて釣りに行った。最近、ブリが上がっているという話を聞き、知り合いも釣ったということだったので、用意をして出掛けた。今の時期は夜明けが早く、4時くらいから東の空が明るくなってくる。釣り場まで1時間ほどかかるので、2時半くらいに家を出ないと朝マヅメに間に合わないと思ったのだった。

 釣り場は空いていた。一番いい場所は先行者がいたが、いい思いを何度もして、気に入っている場所に入ることができた。

 タックルケースを開いて、あ、と思った。ヘッドライトを忘れてきたのだ。いつも使っているのはUSB充電式の、帽子のつばに取り付けるタイプのLEDのものなのだが、それを充電しようと出してしまい忘れていたのだった。仕方がないので、スマホの簡易ライトを点けて仕掛けを作る。とてもやりにくい。

 東の空が明るくなりかけたので、投げてみた。一投目から根掛かりをした。なかなか外れない。仕方がないので強引に仕掛けを引っ張った。リーダーの部分から先が切れて戻ってきた。新品のシンキング・ペンシルをなくしてしまった。スマホのライトを点けて、リーダーを組み、別のルアーを付けてふと東の空を見ると、真っ赤に朝焼けをしていた。血のような、不気味な色だった。カメラを取り出して何枚か写真を撮る。

 海は静かだ。秋の海は大抵この時間帯からざわざわとしはじめ、小魚が逃げ惑う姿が見られたりするのだが、明るくなって眺めていても小魚は悠々と泳いでいる。時々、私の投げたルアーに小魚が驚いて飛んだりしているけれど、海面は何ごともないように平穏だ。やがて潮があまり動かなくなって、鯔が飛んだりしはじめた。

 一瞬、目の前で小魚の群れが逃げ惑うことがあって、やっと青物が入ってきたか、と思って期待してルアーを投げるが、何の反応もない。よく見てみると、細い魚が小魚の後を追って飛んでいる。ダツだろう。

 陽が昇ると、暑くなってきた。7時を過ぎたくらいからもう帰ろうかと思い始める。でも、回遊があった時間帯は8時前くらいだったと聞いていたので、なかなか帰る踏ん切りがつかない。リールを巻く左手がだんだんとだるくなってきた。4時間近くキャストを繰り返している。自分が年と共に体力が落ちてきているのを痛感する。

 結局、8時まで何も起こらず、帰ることにした。あまり釣れることがないのか、青物を狙っている人は私の他は2人だけだった。

 また、車に乗って今度は実家に向かう。ひどく疲れてしまった。

 実家に着いて、裏庭の木、母が死ぬ数年前に植えたプラムの大きな枝が折れていたので、それをチェーンソーで切る。畑の草刈りをしようかと思って準備をしかけるが、疲労感がひどい。野菜の間の草むしりを少しだけして、家に戻って横になった。20分ほどうとうとして、目が覚めた。少し用事があったので、それだけ済ませて、昼前に帰ることにした。

 車の中で髪が酷く伸びたのが気になり始め、帰りに散髪屋に寄った。散髪屋は土曜日なので混んでいて、1時間ほど待った。髭を昨日、剃っていなかったので、散髪屋の人が綺麗に剃ってくれて、ひどくさっぱりした。

 家に帰って道具を水洗いして、遅い昼食を摂り、横になった。何か古典でも読もうかと思って「枕草子」を本棚から取る。古典を読み始めると、すぐに眠くなる。

 本を開けたまま、知らぬ内に眠っていた。昔、実家で飼っていた柴犬の夢を見た。最後は白内障になって目やにだらけで、よぼよぼの老犬になっていた。老犬だったが、母が寝たきりになる前、体が思うように動かず、洗濯物を干そうとして転倒し、骨折して物干しの下で動けなくなった時、ずっと吠え続けて父に知らせた。母が寝たきりになって、父がその介護をしていた頃から、だんだんとやせ細って背骨が曲がり、立っているのがやっと、という状態だった。死ぬ前の夜、悲しそうな声でずっと鳴いていたと父が言っていた。その犬が死に、1年も経たないうちに母が死に、その3ヶ月後に父が死んだ。

 夢の中で、その老犬は私が近寄るととぼとぼと近寄ってきて、手の臭いをかぎ、てのひらを舐めた。目は白内障で真っ白だった。臭いだけで知っている人かどうか区別しているんだろうな、と思った。若い犬だった頃は、知らない人には容赦なく吠えた犬だった。はて、この犬は何歳だったかな、と思っていると、母が、小さな私の娘の手を引いて、笑いながら歩いてきた。太った、元気な頃の母だった。母に「この犬はいつから飼っていたっけ?」と尋ねると、母は何か答えた。小さな娘は、犬の頭を撫でていた。娘は、この犬をかわいがっていた。

 目が覚めた。5時半になっていた。2時間ほど午睡をしていたのだった。午睡の夢は、やけにはっきりしていて、そして悲しい夢が多いような気がする。

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Panasonic TX-1

2022年2月19日 (土)

モノが溢れる

 身の回りにモノが溢れていて、処分したいと思う。釣り竿だけでも20本ほどもあって、使うロッドはほとんど決まっているので、不要なロッドは売り払いたいと思うのだが、中古釣具店に持っていっても大した値段はつかないだろうから、それなら誰かにあげた方がいいような気もして、そのままにしてしまっている。ヤフオクみたいなところで売ってもいいのだが、長尺物は送料が高いし、いつも使っていたヤマト便が廃止になって、160cm以上のものは送れなくなってしまった。

 貧乏性だとつくづく思う。先日、ダイソーでコアマンのVJのようなジグヘッドが200円でたくさん売られていたので、10個ほど買ってしまった。手持ちのワームを着けて使ってみたが、10個も必要なかったと思う。ルアーも安い時にまとめて買っておくという習慣になってしまって、まとめて買ったのを忘れてしまってまた安い時にまとめて買うという悪循環を繰り返す。いつも行くゴロタ浜でヒラメ釣りをすると、大抵いくつかルアーをロストしてしまうので、それで安い時に買っておこうと思うのだ。けれど、今年のシーズンはヒラメ釣りに数回しか行っていないし、釣れたのは50cmのイシガレイだけというよくわからない釣果だった。先週は良い天気だったので出掛けたが、目の前でヒラメをばらしてしまって、馬鹿馬鹿しくなって2時間ほどで帰宅した。

 結局、よく使うルアーも決まっているのだ。ヒラメ釣りならば、いつもビーチウォーカーのハウルを使う。ハウルは高価なのだが、一時期、釣具店が閉店セールをしていて、かなり安い値段で売られていたのでまとめて買った。それがまだたくさん手元にある。メタルジグを使うこともあるのだが、ジャクソンのギャロップスイマーを使っていた。ギャロップスイマーはディスコンになったのか、ほとんど見かけなくなってしまったが、これでいくつもヒラメやマゴチを釣った。青物を釣る時は、いつも行く釣り場ではジャクソンの鉄パンロングを使うことが多い。今年はそれがあまりうまくいかず、代わりにブリーデンのメタルマル40gでかなり釣った。あとは時々、マリアのムーチョ・ルチアか、ダミキの闘魂ジグを使うくらいで、他はほとんど使わない。それなのに、ネットや雑誌の情報で「これが釣れる」というのがあると買わずにはいられなくて、つい買ってしまうのだ。それがどんどん溜まっていって、プラスチックの衣装箱1個分くらいにまでなってしまった。

 実は今日、それらを整理して売ってしまおうと思ったのだった。朝から雨が降り続いていて、今日は目の前の仕事もなかったので、それなら整理して手放してもいいかなと思ってやりかけたのだが、あまりに数が多すぎて、面倒になってやめてしまった。結局、外に出して整理しかけたルアーの数々は、元のように衣装ケースに仕舞い込まれることになった。これだけあれば、死ぬまでルアーを買わなくてもいいんじゃないか、と自嘲した。

 結局、私は次々に消費をし続けているが、それが自分の幸福には繋がっていないということを自覚すべきなのだ。消費をするために働き、消費をしてそれが幸福には繋がらない。青物釣りは、鉄パンロングと、メタルマルだけあれば事足りるということを知るべきなのだ。カメラにしてもそうだ。高校生の時、ニコン1台とレンズ2本で何もかも撮影して、それでいくつものコンテストに入賞したが、その時の写真の方が今、手元に溢れているカメラで撮影した写真よりもずっと良い写真だった、と気付かなければならないのだ。仕事は消費、あるいは浪費のためにするものではない。

 身の回りにあるものを少しずつ処分しようとはしているが、それもなかなかに進まない。そして、また消費に走る。その繰り返しが悪循環となっていることを、自戒しなければならない。

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Fujifilm X-A5 w/Laowa 9mm F2.8

2021年10月24日 (日)

沈んだ日曜日

 夜中に耳が塞がった感触があって目が覚めた。左耳が塞がったような感じになっていて、よく聞こえない。時計を見たら3時前だった。昨日は一日仕事で、ひどく疲れていたので今日は早朝に起きて釣りに行くのは止めようと思っていたのだった。トイレに行って、もう一度ベッドに潜り込んだ。

 変な夢を見た。倉庫のような暗い所で一人何か作業をしているのだが、いつまで経ってもしなければならないことができない。ふと目を覚まして夢か、と思ってまた眠ろうとする。現実と夢との間をふらふらと彷徨している。窓のカーテンからは明かりが少し漏れているので、夜は明けているのだろう。もういつも起きる時間だろう、そろそろ起きてもいいかな、と思ってベッドから起き上がり、時計を見ると8時半だった。いつもより2時間も余計に寝ている。

 起きてコーヒーを淹れて飲み、今日はどうしようかと考えた。3週間ほど前からしんどいことがあって、何か気分転換が出来ればいいのに、と思った。青物釣りに行ってもいいが、ハイシーズンなので、人が多くて却って疲れるだけかもしれないと思う。

 何年かぶりに神社に行くことにした。緊急事態宣言も明けているので、隣の岡山県にある神社に出掛けた。高速で小一時間ほどの距離にある、田舎の神社だ。いつも正月の5日あたりに家族で出掛けていたのだが、去年は喪中だったし、今年はコロナのことがあったので出掛けられていなかった。3年前に買った破魔矢とお守りを持って車に乗った。帰りに余裕があれば誰もいないだろう海岸でヒラメでも狙おうかなと思い、ヒラメ用のロッドとルアーを持っていくことにした。

 久しぶりに乗る高速道路はあまり混んではいなかった。いつもの日曜日くらいだ。トラックが日曜日だけれど何台も走っていて、そんな状況なのだなと思う。車を運転していても気持ちが塞いでくる。

 渋滞することもなく、山の麓にある神社に着いた。広い駐車場には車が3台しか停まっていない。神社の本殿の横にも駐車場があるから、そっちの方に参拝者の多くは車を置いているのだろうと思いながら、参道を歩く。破魔矢とお守りを返納場所に置いて、参拝した。境内には7、8人の人がいた。ちょうど七五三の時期みたいで、綺麗に着飾った小さな女の子が母親に手を引かれて歩いていた。娘がまだ、あれくらいの年頃だった頃のことをふと思い出した。あの頃は、多分幸福だった。

 お守りとお札を買おうと思って社務所の方に行くと、社務所の人に私と同年代くらいの人がひどく文句を言っていた。嫌だな、と思いながら待つ。社務所の人がその人の書類を書いていたので、じっと待っていると私の横から書類を書いている社務所の人に、若い女性が七五三の予約をしたいのだと言う。社務所の人は書類を書いている手を止めて、予約を聞き始めた。待っているのに、と思いながらもこっちが先だ、と言う気持ちにもなれず、その女性が去るのを待って、すみません、と言う。お守りを1つと、お札を一つ買って参道をまた歩いて降りた。ほとんど人もいない。神社に参拝して、少しだけ気持ちが晴れたような気がした。

 帰りに遠回りして、海の方に寄っていくことにした。ちょうど昼時だったのでどこかで昼食でも摂ろうかと思うが、全く食欲もない。

 海岸に着くと、3人ほど釣り人がいたが、私が釣りを始めて1時間もしないうちに3人とも帰っていった。小さなアタリとともにエソが立て続けに2匹釣れただけで、後は何もなく、根掛かりしてルアーを2個なくしてしまい、リールに巻いている糸が高切れしてしまっただけだった。釣りをしている時はいつもは気分が紛れているのだが、今日は釣りが全く楽しくなくて、ただただ重苦しく沈んだ気持ちばかりが渦巻いていた。青黒く沈んだ海の風景を見ていると、気持ちが沈んできて、妙に泣きたいような気持ちになるのだった。何度も釣りを中断して、海を見ながら煙草を吸った。一体、自分は何をしているのだろうと思う。釣りになんか来なければ良かったのだ。浜辺を小魚の群れが何度も通った。

 長い海岸を歩き、場所を変えながらルアーを投げてみる。釣れたらいいのに、こうしたら釣れるのだろうか、といつもは思いながらルアーを投げるが、今日はどうでもいい、と思いながらルアーを投げ続けた。ふと、左胸に鈍い痛みが時々あることに気付いた。誰もいないこの海岸で倒れたら、多分何日か後にならないと発見されないのだろうな、とふと思う。そして、そういう最期もあっていいのかもしれないなと思うのだ。

 結局、2時間も釣りをせず、家路に就いた。家を出た時よりもずっと気持ちが塞いでいた。

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Panasonic DMC-TX1

2021年10月17日 (日)

悪いことが続く

 ここ2週間ほど、ろくなことがない。災難ばかりが降りかかってきて、気持ちが塞ぎ込んでしまう。2年前、父と母が相次いで他界したが、その時はまだ精神的な平穏を保つことが出来た。それは、周りの支えがそれなりにあったからだと思う。しかし、それが今は希薄に感じる。それは多分、終わりの見えない問題ばかりだからだ。

 最初の災難は、先週だったか、釣りに昼から出かけて、車に傷をつけられたことだった。釘のような尖ったもので、3本の線が助手席側のサイド、フロントのライト横からテールランプ横にまで全てに入っていた。停めていた車が全てやられていて、私の横の車は塗装の下地が見えるほどだった。話に聞くと翌日にもあったようで、その時は警察が入ったそうだが、ダメージは大きかった。一部にマナーの悪い人がいることは確かで、ゴミを撒き散らしたり、喧嘩をしたりしているのを何度か見たことがあるが、何の恨みがあってこんなことをするのだろうと思う。いつもゆっくりと釣りを楽しんでいるのに、その場所に行くのを躊躇うようになった。そして、その場所が私にとっては人が少なくて落ち着く場所だったから、新たな釣り場を開拓しようという気も失せて、絶好のシーズンなのに釣りをしたいと思えなくなってしまった。正直、今の私には釣りと農作業くらいしか気分転換を図る術がないので、昨日は農作業をしたのだが、農作業も最近動物が出て、実ったものを食い散らかしてしまう。残った気晴らしは、写真を撮りに行くくらいかと思ったりもするが、その気持ちにもならない。

 そしてこれが一番の問題なのだが、仕事で精神的なダメージが大きい事案が発生して、その出口が全く見えないでいる。いつになったら解決に向かうのだろうか、と思う。夜、眠ろうと思って横になったとしても、それが頭の中でぐるぐると回り続けて、なかなか寝付くことができない。止めていた飲酒を少しだけして、少し忘れて眠ることができるようになる。15年ほど前、精神的に参ってしまって投薬治療を続けていたが、その時のことがふと蘇ってきて、恐怖すら感じるようになってしまった。いっそのこと、仕事を辞めた方が精神的にも安定するのだろうと思うが、家族のことを考えるとそれにはなかなか踏ん切りがつかないし、第一、私に何も落ち度がないのになぜこんなに追い詰められなければならないのだろうとも思う。

 今日は朝、いつも通りに起きたのだが、何もする気になれず、ぼんやりとベッドの上で過ごした。今やっと起き出して、これを書いているくらいだ。本を読む気にもならない。こうやって気持ちを整理して書くことが認知的にも良いのだろうと思っているのだが、考えも支離滅裂になってしまって何のためにこれを書いているのだろうと思う。

 何もする気になれないというのは、15年前にずっと起こっていたことだ。ただ、マンションの冷たい一室で横になって時間が過ぎるのだけを待っていた。翌日、仕事に行かなければならない時、力をふりしぼって服を着替え、何も口にしないで家を出た。仕事を一度休んでしまうと、二度と仕事に行けないような気がして、怖かった。だから、ふらふらになりながらでも仕事をし続けた。一体、何が辛かったのかということはよく覚えていない。ただ、辛かった記憶だけが鮮明に残っていて、それが今になってフラッシュバックしてくるのだ。

 多分、15年前も自分の力ではどうにもならないことがたくさんあって、しかもその出口が見えなくて苦しんでいたのだろうと推測する。そんな状況があったことは確かなのだ。そして、それは何年も解決せず、私の身体と精神を蝕んでいった。そんな徴候が今また、見えつつある。

 どうしたらいいのかよくわからない。時間が解決してくれるのだろうか。ただ、横になってやり過ごすより仕方がないのかもしれない。15年前より、自分は強くなったのだと勘違いしていたことに改めて今、気付く。私は私で、今も昔もそんなに変わっていないのだ。

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Nikon coolpix S9400

2021年9月23日 (木)

余裕のなさ

 ここ2ヶ月ほど、余裕がないと感じるし、自分がちゃんと仕事も何もできていないような気がする。余裕がなくなると心情的にあまりよくない。仕事でさまざまな困難な状況がいくつもあったりして、日々それについて頭を悩ますことが多いということがあるのだろうが、それでも余裕を持って仕事などをしなければならないのではないかと思うのだ。

 多分、その発端はあるのだろう。8月半ばに個人的なトラブルがあって、そのトラブルがあるとそれがずっと脳裏から離れず、イライラし続けることになった。そのイライラした感情が他の部分にまで波及して、あまり良くない状況を生んでいるのだろうと思う。

 今日は祝日だったので、どうしようかと思った。本来なら、彼岸なので実家に帰って墓掃除などをしなければならないのだろうと思いながらほとんど寝ずに深夜から釣りに出かけてしまった。昼前まで半日粘って何も釣れなかった上に、普段と違う、滑りにくい靴を間違えて履いてこなかったせいでテトラの上で滑ってテトラからずり落ちてしまい、その際に手をついて左手首を痛めてしまった。食事の時に茶碗を持っただけで手首が痛む。自業自得だなと思う。彼岸の日に釣りに行って、何も釣れなかったのは良かったのかもしれないと思う一方で、今の自分の状況をよく表していると自嘲する。何をやってもあまりうまくいかなくて、徒労感ばかりが残るのだ。釣りに行って帰ってきた時に、釣れても釣れなくてもこのような徒労感を味わうことがある。時間をかけて自分は何を一体しているのだろう、と思うのだ。勿論、釣りをしている時はそんなことは思わないし、釣れたら釣れたで嬉しいことは確かだ。でも、それが何になる、と思った瞬間に徒労感に変わってしまう。

 昼過ぎに家に帰ってきて、昼食を食べて、昨日は1時間ほどしか寝ていなかったので寝ようと思った。2時頃に横になって、目が覚めると暗くなっていた。寝過ぎた、しまったと思う。これでは多分、今日の夜に寝付くことができず、明日1日、しんどい思いをすることになるだろう。

 余裕のなさが徒労感に結びつくのだろうと思う。前にも書いたけれど、イライラする気持ちを抑えることができなくてちょっとしたことで腹を立ててしまうのもそうだ。腹を立てると一日、そのことで気持ちの余裕がなくなってしまう。かといってそれを抑えたとしてもムカムカした気持ちは消えることなくずっと続く。なかなかこの年になって、アンガーコントロールが難しくなっているのを実感する。年を取るとまるくなる、ということを聞くが、私自身は若い頃の方がずっと我慢ができていたような気がする。もう少し、余裕を持ちたいが、本当のところ、どうすれば余裕を持つことができるようになるのかがよくわからない。

 唯一、徒労感がないのは写真を撮ることなのかもしれない。一日歩いて、家に帰って撮った写真を眺めて1枚でもいいなと思う写真が撮れていれば、とても嬉しく思う。1日、ゆっくりと写真を撮り歩くことがもしかすると今の私には必要なことなのかもしれない。

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Olympus OM-D E-M1 w/M.Zuiko Digital 14-150mm F4-5.6

2021年8月29日 (日)

ワクチン接種の翌日

 昨日の夕方、モデルナのワクチンの2回目を打ったので、今日は1日、休むことにしていた。いつもよりも30分ほど遅く起きたが、いつもの朝と変わりない。左腕が少し痛むが、それくらいだ。熱もない。接種した直後から足の指の付け根が痛むが、これは関係ないような気もする。少し頭痛がある程度だが、1回目の方が酷かった。副反応がない人が一定数いるということだったが、私は多分、副反応のほとんどない人に含まれているのだろう。

 用心して、午前中は横になったり机に向かって本を読んだりしたくらいだった。一瞬釣りに行こうかなと思ったが、外は非常に暑く、一人で釣りに行っていて、釣り場で何かあったら困るだろう、と思って釣りに行くのは止した。少しだけ仕事があったので、それをして、あとは高校野球を見たりして過ごした。両校ともほぼ同じユニフォームなので、最初見た時にどちらが攻撃しているのかということもよく分からなかった。袖の県名を見てようやく分かるような感じだった。系列校同士の決勝というのも初めて見たし、高校野球がこの時期にまでずれ込んでいるのも初めてのような気がする。智弁和歌山が大量リードを得た時点でテレビを消した。高校野球は最後までわからないので面白いのだが、少しやりたいことがあったのだった。

 やりたいことというのは種を蒔くことだった。昨日、実家に帰って畑を耕耘して、野菜を植える準備をしておいた。草に埋もれていたサツマイモの周りの草を刈ったり、畑を耕耘したりで3時間ほどかかったけれど、その後、盆前くらいに種を蒔いて苗にしていたキャベツやブロッコリーを植えた。あとは白菜とレタスの種を蒔いておくことくらいかな、と思ったので、連結ポットに土を入れて、白菜2種類とレタス数種類の種を蒔いた。白菜は去年、作るのを失敗したので、今年は何とかうまくできないかなと思っている。あとはタマネギの種を蒔こうかと思ったが、連結ポット5枚に白菜とレタスを蒔いたところで少し疲れた気がした。何ともないようで、多分ワクチンの影響は多少はあるのだろうと思う。

 家に入り、コーヒーを飲んでぼんやりとパソコンを見たり、3年ほど通勤に履いたスニーカーが傷んで、底のゴムがすり減ったり中の布の部分が破れてしまっていたので、ネットでウォーキングシューズを買ったりした。昔からいろんなメーカーのスニーカーや靴を買ってきたが、最近はずっと月星のものを買っている。安いのと、丈夫で履き心地がいいからだ。以前は海外のスポーツメーカーのものを好んで履いていたが、よく靴底のゴムが剥がれたり、中敷きに穴が開いたり、靴底と上を接着する接着剤が劣化して水がやたらと入ってきたり、と1年くらいで買い換えなければならないことも多かった。月星の靴にしてからは、本当にすり減ってさすがにこれ以上は履けないというところまで履ける。自動車用のタイヤは、すり減ったら交換するという感じだが、その感覚に近い。靴底がすり減ってこれ以上すり減ると滑って転んでしまう、というくらいまで履けるのだ。これは考えてみるとすごいことなのかもしれない。だから、3年ほども同じ靴ばかりで過ごしても大丈夫だったのだ。

 耐久性というのは非常に大事だと思う。カメラにしても、時計にしても繊細ですぐに故障してしまうものもあるが、実直に動き続けるものもある。時計にしても、国産のものは海外の時計と比べて派手さはないのかもしれないが、実直に動き続けて故障があまりない。故障しても海外の製品とは違い、修理代も安い。ブライトリングのクロノグラフを1本持っているが、それはブライトリングの自社ムーブを搭載した時計を是非持ちたいと考えて、大枚叩いて中古で買ったものだ。でも、買った後に知ったのだが、このクロノグラフは自社ムーブのためにブライトリングに修理に出さなくてはならず、しかもその料金は基本料金だけで12.5万円という私にとっては驚くような値段なのだ。多分、私のような庶民がブライトリングの自社ムーブの時計を使っていること分不相応のことで、世間でブライトリングを使うような人たちには、12.5万円という修理代はそんなに痛くないのだろうと思う。何はともあれ、ブライトリングの自社ムーブのクロノグラフを手放したいと思っている。

 だらだらといろんなことを書いてしまったが、今日1日はそんなだらだらととめどなく時間が流れる日だった。少しだけ、もう少し何かしておけば良かったという気持ちもあるが、ワクチン接種の後で、体調が万全でなかったのだからたまにはいいだろう、という気持ちが大勢を占めている。明日からまた仕事だ。

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Olympus OM-D E-M1 w/Panasonic Lumix G Vario 14-140mm F3.5-5.6

 

 

2021年8月28日 (土)

言わなくてもいいこと

 最近、ほとほと自分が嫌になることがある。

 何が嫌かと言えば、つまらない一言を言ってしまって、他人に気を遣わせてしまうということだ。言わなくてもいいのに言ってしまって、後で後悔する。思えば、小学生の頃からそうだった。つい誰かに皮肉を言ってしまい、その人に気を遣わせるか、あるいはその人を怒らせるかだった。そういう性格とはもう40年来の付き合いになるので、そろそろ自分のことを分かって言わなくてもいいことを言わずにおこうと思うのだが、それでも言ってしまう。

 「徒然草」に「おぼしきこと言はぬは腹ふくるるわざなれば」とあって、それを高校生の時に教科書か何かで読んで、その時は確かにそうだなと思ったが、「おぼしきこと言ふ」ということをしてこれだけ後悔ばかりしていると、「言はぬ」方がいいように思うこともある。勿論、言って良かったと思うこともあるのだが、それは10に1つの割くらいで、大抵言った相手が不快な気持ちになっているということが伝わってくる。これは私の思い過ごしなのかもしれないが、どうもそんな気がするのだ。

 何でこんなことをしてしまうのか、と考えた。SNSでは思ったことを呟くとそれが有名人のもので、不適切であったり、賛否両論であったりすると大概炎上ということになる。勿論、SNSは個人対個人という閉じた関係性の中にあるものではなく、個人対社会という開いた関係性の中にあるものだから、当然思ったことを言ってはならない場面があるに違いない。でも、これが個人対個人で、相手に自分の思いを知らせたいと思うならやはり自分の言いたいことを遠回しであっても言うべきなのではないかと思うのが、私の小さな頃からの考えなのだろうと思う。私に限らず、多くの人は他人の気持ちがよくわからないだろう。自分のすぐそばにいるはずの家族ですら、何を考えているのかわからないこともあるし、家族よりもずっと近い自分自身ですら、何を考えているのか自分でもわからないこともある。他者の考えていることがわからないのは、それが言葉に出てこないからだろう。言葉によってきちんと伝えられたら、少なくとも自分の考えていることは相手に伝わる。

 しかし、自分の考えていることは、矛盾するいくつかの考えが合わさったものであることも多い。つまらない例だが、例えば、何かの拍子に自分が昼食をおごるよ、と言ったとしても、その裏には実はあまりお金がないのだが、という思いが少しあることもある。言葉というのは、自分の思いをすべて表現しているものではないのだ。私は言葉をつくづく不自由だと感じる。複雑で入り組んだ思いを言葉ですべて表すのは、到底無理なことだろう。

 だからきっと、写真を撮るのだろう。言葉にならないもやもやしたものを吐き出す所を私は持ちたいといつも思うのだろう。昔、私が若い頃、サンダー平山という写真機家がいて、その筆致が面白くてよくその人の本を買ったりしていたが、サンダーさんは「コレクションのために写真を撮る」と言っていた。それを読んでそうなのかな、と疑問に思ったが、私は多分コレクションのために写真を撮っているのではない。単にもやもやした気持ちを吐き出したいだけだ。私の写真は道路に吐き捨てられた唾のようなものだ。

 少し、写真を撮って気持ちを吐き出したり、釣りに一人で行って誰とも話をしなかったりというようなことをして、余計なことを言うのを避けたいと思う。言えば言うほどどつぼにはまることが最近、多い。ストレスが溜まっているのだろうとは思うが、そのストレスはどこから来ているのだろうか。

 明日は休みなのだが、それはさっき、モデルナ・ワクチンの2回目接種をしてきたから、体調が悪くなることを見越しての休みだ。多分、一人で暗い部屋にずっといると、そして頭痛がしたり熱が上がったりすると、それがまたストレスとなって余計なことを、言わなくてもいいことをつい、言ってしまいそうな気がする。

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Olympus OM-D E-M1 w/M.Zuiko Digital 14-150mm F4-5.6

2021年8月16日 (月)

草刈りの翌日

 昨日は一日、畑の草刈りをした。本来なら8月の初旬にしなければならないのを色んなことに追われて全くできていなかった。8月1日の日曜日は休みだったのだが、前日にコロナのワクチン接種の1回目があって、頭痛が酷くて何もできなかったし、直後から出張が続いて実家に帰ることができていなかったのだ。草は茂り放題になっていて、見ただけでうんざりしたが、放っておいても誰かがしてくれる訳でもないし、茂っていく一方だから、仕方なしにやることにした。

 大体、畑1面に2時間見当で、4時間から5時間はかかるだろうなと思った。燃料がないのではないかと思ってガソリン缶を持ってみると、何とか5時間ほど草刈り機を動かす分はありそうだった。ガソリンスタンドに買いに行こうかなと思ったけれど、ガソリンは置いておいたら悪くなるので、今度草を刈る来月に買いに行こうと思った。

 草刈り機を2台、軽トラックの荷台に積み込む。刃のものとコードのものだ。刃のものは楽でいいのだが、草が短いとコード式のものの方が綺麗に刈れるような気がする。ただ、コード式のものは飛び石が酷く、家や自動車の近くでは使うことができない。混合燃料を入れたガソリン缶と、簡単な工具と飲み物を入れたクーラーボックスを荷台に積む。飲み物は500mlのスポーツドリンクを4本で足りるだろうと思ってそれを用意した。

 去年の盆にも草刈りをしたのだが、去年は今年のように長雨の後の曇り空というわけではなく、かんかん照りの日だったので、2時間ほどで熱中症気味になって、草刈りを途中で放り出してふらふらになりながら家に帰った。頭痛が酷くてそのまま翌日まで寝込んでしまった。今年は涼しいくらいで、あまりきつくなさそうだった。それでも2時間ほどし続けるとふらついてきて、しばらく休憩をした。一度休憩をすると二度と立ち上がりたくなくなる。真夏の国道脇や高速道路脇で草刈りをしている作業員の人たちを見るけれど、あれは本当にきついと思う。数時間やっただけでもうしたくないと思うのに、あれはほとんど1日だ。それに刈った草はトラックの荷台に積んで掃除までしている。私にはそんなことまでやっている余裕も体力もない。草はいつも刈ったら刈りっぱなしだ。よくないのは分かっているのだが、仕方がない。

 1枚目の畑の草刈りが終わったのは2時間を少し過ぎたくらいだった。次の畑に向かう。トウモロコシを植えていた畑なのだが、トウモロコシはほぼ全て何かの動物に食われてしまった。サツマイモや黒大豆を植えているのだが、どちらも草ぼうぼうで、そこの手入れも本当はしなければならないのだが、それをしている気持ち、体力の余裕がない。取りあえず刈らなければならないところの草だけ少しずつ刈っていく。草の丈が高くなっているのでとても刈りにくい。時々、草が草刈り機に絡みついて、草刈り機が動かなくなる。何とか終わらせたのが5時間半ほどを経過した頃だった。草刈り機の震動が手に残っていて、手が痺れるような感じがするし、中腰になって作業しなければならない箇所があったので足腰が痛む。それでも、今日は熱中症にならなくて良かったと思った。飲み物は2リットルでは足りなくて、途中で買い足した。ひどい汗だった。

 夜、家に戻って寝ようとするが、あまりの疲れ具合に寝ることができなかった。疲労が強すぎると体のあちこちの痛みが気になって眠りにスムーズに入ることができない。涼しかったからエアコンをつけずに窓を開けて寝ていたのも悪かったのかもしれない。疲れて寝てしまいたいのに寝られないというのは本当に辛かった。あまりに寝付けなくて時計を見ると、2時を回っていた。

 今日は仕事だったので、普段通りに起きた。ひどい疲れで階段を降りるのも辛かった。もう年も年だし、無理のきかない体になってしまっているような気がする。

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Olympus OM-D E-M1 w/M.Zuiko Digital 14-150mm F4-5.6

2021年8月14日 (土)

雨が降り続く

 盆なので墓参りに行きたいと思うのだが、この雨でなかなか行くことが難しい。お寺にある墓は管理料をお寺に払わなければならなかったので12日に支払いも兼ねて墓掃除に行ったのだが、雨の中だったので線香や蝋燭を立てることもできず、枯れかけた樒を新しいものに交換したくらいだった。父と母の墓にはまだ行けていない。明日は昼前くらいから雨が止むみたいなので、墓参りにだけ行こうかなと思う。

 それにしても、盆だというのにずっとひどい雨だ。九州、中国地方では洪水も起きているし、盆なのにどうなのだろうと思う。つい先日まで暑くてたまらないという日が続いていたのに、10日くらいからずっと天気がぐずついている。こんな真夏に雨が降り続くのは、台風でも来たのなら別だが、記憶にはない。

 溜まっていた仕事を昨日から少しずつやっている。数日間かけてやり終えた仕事が一つだけだった。休みの日にもずっと仕事に追われていて、仕事を断ればいいのだろうがなかなかそうもいかず、仕方なしに仕事をこなしている。盆の間は釣りに行かないから仕事ができていいのかもしれないが、だらだらと仕事をするような一日を過ごして、夜になって少し後悔した。

 とはいうものの、仕事以外に何もする気持ちにもならない。外に出ると雨は相変わらず降り続いているし、昨日は出来上がった仕事のものを投函しに近所の郵便局に出かけたが、歩いて行くと服が濡れてしまってしばらく気持ちが悪かった。

 昼過ぎくらいから少しだけ仕事をして、本でも読もうとベッドに横になって読んでいると、いつの間にか寝入ってしまっていた。変な夢を見て目を覚ますと4時だった。家にいて、動かないものだから腹も減らない。夕飯はいらないかなと思いながら何をするわけでもなく、パソコンを立ち上げて、You Tubeでも見ようかと思った。普段はせっかちなのであまりじっくりと見ることがない。せいぜい時々釣り番組を早送りで見るくらいだ。最近の音楽も聴いていないなと思いながら何か良いものがあればアマゾンで音源を買ってもいいかなと思った。

 高校生の頃、深夜にやっているソニーの提供だったMusic TVという番組を時々、ビデオに録っていた。数ヶ月に1回の割でHR/HM特集をするのだった。そこでビデオクリップをチェックして、良さそうなCDをレンタル店で借りたり、少ない小遣いを捻出して買ったりしていた。友人に借りることもあった。Burrn!という雑誌をずっと購読していて、最後の新譜レビューを楽しみにもしていた。

 You Tubeを見ていると、つい高校生や大学生の頃に聴いていたHR/HMを探して聴いてしまう。Thin LizzyやRush、Alice cooperなどという古いものから、ちょうど高校生の時に流行したNirvanaやRage Against the Machineといったものまで、ちょっとずつ検索しては聴いていく。検索して聴いていると、お勧めみたいなクリップが横に出てくるので見てみたら、80年代のHR/HMのメンバーが2021年現在どうなっているのか、というビデオが出ていた。面白そうなので見てみると、みんなひどく年を取っていた。ヴィンス・ニールとかドン・ドッケンの変わりようには驚いた。Dokkenは好きなバンドだったので、最近のクリップがあるか見てみると、2年ほど前のライブ映像がアップされていた。ドン・ドッケンのボーカルはほとんど聞き取れなかったが、横でギターを演奏しているジョージ・リンチは格好良く年を重ねていた。リタ・フォードとオジー・オズボーンがclose my eyes foreverを数年前に共演している映像を見てオジーが誰か分からなかったが、このクリップだけを何も前置きなし見せられたなら、これがDokkenだとは全く分からなかっただろうと思う。

 1時間半ほどビデオクリップを見ていると、時が経ったのだと今更ながらに思った。自分も年をとった。高校生の頃、バスの中でHR/HMを聴き、歌詞カードを見て英単語を覚えていた頃が懐かしいし、それがついこの前のように思われる。あれからもう30年も経ったのだ。

20210814

Olympus OM-D E-M1 markII w/Panasonic Lumix G 7-14mm F4

2021年8月11日 (水)

明日から雨

 明日から西日本は大雨らしい。折角の盆休みで、家の野外での仕事をいくらかしようと思っていたのだが、盆以降も降り続くようで、多分盆の間は何もできないと思う。今日は雨が降っていなかったので、今日すれば良かったのだろうけれど、今日は有給を使って休んで釣りに行くことにしていたのだった。

 朝、4時にスマホのアラームをセットしていたのだが、そのアラームが鳴って何事かと思って目を覚ました。昨日の夜は蒸し暑く、かといってエアコンを入れっぱなしにすると体がだるくなってしまうのでエアコンを切っているとなかなか寝付くことができなかった。おぼろげながら覚醒し続けて朝が来たという感じだった。洗面をして、釣具の用意をして、車に乗って出かけるが、なぜか現実ではないような気がする。5時前にエサ屋に着いた。東の空が明るくなってきている。6月頃は2時半に家を出て3時半に釣りを始めてちょうど朝マズメを釣ることができたが、夜明けが確実に遅くになっていると感じた。日の出は5時過ぎだったと思う。

 釣り場の人出は少なかった。日中、暑いというのもあるだろうし、あまり何も釣れないというのもあるのだろう。

 チョイ投げでキスを釣りに来たのだが、ぽつぽつと釣れ続く状態だった。時々2連や3連になるものの、型が2週間ほど前に来た時よりも小さい。少し遠出をしてこの時期に20センチオーバーが数釣り出来る海岸に出かければよかったのかもしれない。釣れることは釣れるのだが、10センチほどのものが多い。20センチオーバーは数匹だった。それでも8リットルのクーラーの半分くらいまでは釣れたので、10時頃に納竿することにした。今日は曇りでそんなに暑くなく、過ごしやすかった。

 家に帰ってクーラーを洗い、ロッドやリールを拭いてからキスの下処理をするが、台所のシンクで腰を屈めて鱗を取ったりしていると、段々と腰が痛くなってくる。老眼が進んでいるので、キスを三枚に下ろす時も包丁がよく見えない。それでも1時間ほどかかって何とか下処理を済ませて一息ついた。青物を釣ってきた時は魚自体が大きいので下処理が楽なのだが、キスのような小魚を大量に釣ってくるとその下処理だけで疲れてしまう。今日は50以上はいたので、シンク一杯にキスが散らばっていた。

 盆の間はいつも釣りをしないことにしている。私が小学生の頃、盆に川に鯉釣りに行って帰ってくると、父が、盆に殺生をするなんて、と言ったのがずっと心の中に引っかかっているのだ。確か鯉は釣ってそのままリリースしたのだったが、それでも殺生には変わりないのだろう。

 盆は雨降りなので、別の仕事をゆっくりとやることにしようと思う。コロナもまた流行してきているようだし、外に出るのは止しておこうと思った。ただ、墓参りにだけは行こうと思っている。雨の田舎の墓場はさすがに密にはならないだろう。

20210811

Nikon D5300 w/Tamron 18-200mm F3.5-6.3 DiII

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